「カインド・オブ・ブルー」に参加した、ピアノのビル・エヴァンスはモード奏法の立役者とも言われている。
エヴァンスがいなければ、モードは未完成のままで終わったかもしれない。
エヴァンスがマイルスのグループを退団して、自己のグループを得たのは1959年末の話である。
ベースのスコット・ラファロ、ドラムのポール・モチアンによるピアノ・トリオであった。
1959年12月録音の「ポートレート・インジャズ」は今までのピアノ・トリオとは異なり、個々のプレイに重きを置き、ピアノ中心のピアノ・トリオ・スタイルではなく、ピアノ、ベース、ドラムによるインター・プレイが中心となって演奏された。
それを可能にしたのは夭逝のベーシスト、スコット・ラファロのなす技があってのことである。
エヴァンスはラファロにベースを預けた訳ではなかった。ラファロに自己のスタイルに合うようにベースの演奏を強制したのだ。
後(のち)にラファロ死の直前のライブ録音「ワルツ・フォー・デビィ」でのラファロのプレイは完全にエヴァンスを無視いている。
しかしラファロのベースのきしむような音にはまいってしまう。
初心者には2曲目の「枯葉」を聴いていただきたい。ラファロのソロの後に入るエヴァンスのインプロビゼーションには唸らずにはいられないだろう。