忘れちゃいけないエロール・ガーナー

ビ・バップとは全然縁はないが、独自のビハインド・ビートで一般大衆が好んで聴くのが、エロール・ガーナーその人である。

マニアックなファンの人達はガーナーなど聴かないだろうと、ひとりよがりではあるが、そう思ってしまうからしょうがない。

ガーナーと言えば〈ミスティー〉の作曲者と言うイメージが強いが、僕としては、あの英語の授業前に唄う〈ユー・アー・マイ・サンシャイン〉をジャズにして奏でた人と言う印象のほうが強い。

あの〈ユー・アー・マイ・サンシャイン〉が、こうなるか普通と、飛び上がってしまうくらいビックリする。

それもコード、テンポがおおよそ離れたところにあったら話は別だが、そのままの〈ユー・アー・マイ・サンシャイン〉なのだ。聴いたことがない方はぜ一聴願いたい。 続きを読む 忘れちゃいけないエロール・ガーナー

バド・パウエルを考える

モダン・ジャズ・ピアノの開祖と言えば、当然バド・パウエルだが、パウエルはピアノ・トリオの構成も創りあげた人でもある。

それまでのピアノ・トリオはピアノ、ギター、ベースと言う編成であったが、パウエルはギターを抜いてドラムを入れたのである。

ドラムを入れることにより、フォービートをより細かく刻むことができると考えたのだろう。

それ以降ピアノ・トリオのスタイルはパウエルの創りだしたスタイルへと、とってかわる。パウエルは強度の躁鬱病で、アルバムによっては、別人のように思われるときがある。

今、紹介しようとしているアルバムは、パウエルの絶頂期の頃のアルバムである。 続きを読む バド・パウエルを考える

ビ・バップ非市場主義

ビ・バップでの重要人物はチャーリー・パーカーだが、それ以前にビ・バップに灯りをともしたのが、チャーリー・クリスチャンである。

クリスチャンはギターをソロ楽器として確立した重要な人物である。

1930年代後半スイング・ジャズはマンネリに陥り、若いミュージシャン達は楽団の演奏後に、こぞってジャム・セッションに興じた。その中でもクリスチャンは別格だった。

レスター・ヤングのテナーのフレーズをレスター風にギターで奏でると言う、独自のスタイルを作り上げたのである。

そのフレージングは、スタッカート奏法よりもレガート・プレイによるメロディックな奏法を重視し、ビ・パップ的感覚も内に秘め、そのブルース的フレージングは後のビ・バッパーに大きな影響を与えたことは言うまでもない。 続きを読む ビ・バップ非市場主義

スイング・ジャズのキングは誰?

1930年代に入るとスイング・ジャズが主流になってくる。この時代こそがジャズの第一次黄金期であることは間違いないだろう。

スイング・ジャズの中心となったのが、ビック・バンドで、その大衆的人気を博したのがベニー・グッドマン楽団であった。

グットマンに続いて、アーティー・ショウやトミー・ドーシー楽団など優れたビック・バンドも台頭してきたが、スイング時代のもっとも優れたオーケストラは黒人のデューク・エリントン楽団とカウント・ベイシー楽団である。

この時代に活躍したのが各楽団の花形、ソリスト達である。特にコールマン・ホーキンスとレスター・ヤングのテナーサックス・プレイヤーは目を見張るものがあった。

コールマンにしろ、レスターにしろ、後代に大きな影響を与えている事実は免れない。特にレスターはビ・バップの神様チャーリー・パーカーにも影響を与えたほどだ。 続きを読む スイング・ジャズのキングは誰?

アーリー・ジャズを知ろう

アーリー・ジャズとはニューオリンズ・ジャズのことを言う。

初心者の方々もジャズ発祥の地がニューオリンズであることは、重々承知の上だと思うが、これは今世紀初め、ニューオリンズで黒人のブラスバンドとして生まれたことによる。

その後シカゴのサウス・サイドに移住したミュージシャン達によって1920年頃にジャズは確立していく。

最初のジャズの録音は1917年オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(以下ODJB)によって行われる。

このバンドは白人のグループで、ニューオリンズ・ジャズの白人版がディキシーランド・ジャズである。 続きを読む アーリー・ジャズを知ろう