カール・パーキンス、夭逝のピアニスト

ウエスト・コーストで数々の名のある名盤に、名前を連ねているピアニストがいる。カール・パーキンスである。

パーキンスは左腕に障害があり、独特のスタイルでピアノを弾く。

左腕をピアノの鍵盤に乗せるようにして弾くわけだが、これがイン・テンポの場合は左手でコードを弾くわけで、やはり音が弱く聴こえてしまう。

そこで、これはあくまでも僕の想像だが、右手のタッチが、弾いていく間に強くなっていったのではないだろうか。

右手のタッチの強さがパーキンスの魅力であり、逆境を乗り越えた末に出た答えなのだ。

パーキンスは「イントロデューシング」と言うリーダー・アルバムを1枚だけ残してこの世を去った。交通事故である。29歳という若さであった。 続きを読む カール・パーキンス、夭逝のピアニスト

ウエスト・コースト・ジャズの心地良さ

ウエスト・コーストと言えば白人集団のように思われるが、例えば初期のソニー・クラークはウエスト・コーストで数々のセッションに参加して腕を磨いた。

ソニー・クリスもソニー・クラークとセッションをしたが、どちらもウエスト・コースとでは芽が出なかった。

ソニー・クリスは晩年ヒット・アルバムに恵まれたが、ソニー・クラークは鳴かず飛ばずで63年にはこの世を去ってしまっている。本国アメリカでは恐ろしいほど無名である。

数々のミュージシャンも、そういう奴もいたな程度にしか捉えていない。日本では素晴らしくらいに人気者だ。

ソニー・クラークの良さを理解できないアメリカ人の耳を疑う。ウエスト・コースとは白人の集団ではない。黒人も大いに活躍している。 続きを読む ウエスト・コースト・ジャズの心地良さ

スタン・ゲッツ的クール

クールの先駆けとなったのは、ウディ・ハーマンのセカンド・ハードの〈アーリー・オータム〉でののソロが始まりとされている。

1947年のことだ。ゲッツがクールを編みだした訳ではないが、クールを決定付けたのはゲッツであることに間違いはない。

ゲッツと言う男が、いかに流行を先取って、演奏スタイルを変えてきたかが後々のアルバムを聴けば分かることだが、それらを踏まえてゲッツと言う男の文豪ぶりが伺える。

確かに1950年プレステージレーベルから発売された「スタン・ゲッツ・カルテット」は名盤である。

しかし初心者が聴いて果たしてこのアルバムの良さが分かるかは疑問だが、ゲッツ・ファンのリスナーにはかけがいのない1枚と言ってもいいだろう。 続きを読む スタン・ゲッツ的クール

リー・コニッツ的クール

リー・コニッツは元々がクールな音だ。スタン・ゲッツのようにスタイルで音を変えていくような人ではない。

コニッツの「サブコンシャス・リー」はプレステージ第一弾を飾るアルバムとなった。

このアルバムのすごいところは、音に表情が全くなく、機械的な演奏に徹底して従事している。クール・ジャズとはその構成、編曲に重きを置く。

特にレニー・トリスターノがピアノで参加した1~5番はみなぎるような緊張感である。この冷蔵庫に物を詰めていくような作業の何が楽しいのか理解に苦しむ。

トリスターノが抜けた6番の〈マシュマロウ〉はどうだ。盟友ウォーン・マーシュとの息はピッタリだ。アドリブもなぜか耳に心地よい。 続きを読む リー・コニッツ的クール

レニー・トリスタートを聴いてはみたが

レニー・トリスターノ。とっつきにくい人である。トリスターノもまたビ・バップとは縁のない人である。

1946年キーノートレーベルの吹き込みは、歴史的に見てもそっぽを向かれるアルバムだ。

しかしこの時期のトリスターノは既に、自分の音楽的論理に基づく、左手の和音に、そぐわない右手のメロディーライン。

不思議な音だ。そしてこのトリオは既にインター・プレイを繰り広げている。ギターとピアノの絡み具合は絶妙である。

セロニアス・モンクのようなあきらかな不協和音は使わない。ギターとの関係を重要視しているのが分かる。 続きを読む レニー・トリスタートを聴いてはみたが