モード奏法は、マイルス・デイビスが編み出したものだが、それを期に、水を得た魚のように活躍の場を広げたのがジョン・コルトレーンだ。
コルトレーンはマイルスの提案したモードの一番の理解者だったのではないだろうか。
1959年アトランティックレーベルから「ジィアント・ステップス」を発表。
内容は全曲コルトレーンのオリジナルであり、またその曲想が60年代のムーヴメントを引き起こす引き金となるのは、僕だけの理由付けではあるまい。
「ジャイアント・ステップス」はコルトレーンにとっては重要なアルバムに違いない。かのライバル、ロリンズは、その後のスタイルがコルトレーンそのものになってしまった。
ロリンズはモード以後、音色が明らかに変わった。60年代以降コルトレーンのスタイル、音色が主流を収める。
今の日本人のアーティスト達もコルトレーンの影響を強く受けている、コルトレーン風に吹けばジャズになると言う、説得力のない理由を持つ素人の方もいるだろう。
コルトレーン自身が神である以上、日本人のコルトレーンに対する偶像崇拝は終わらない。
コルトレーンは1967年7月17日に燃え尽きてしまった。それがまたコルトレーンを神と仕立てるのだ。
先にも書いたが、コルトレーンをリアルタイムで聴いてきた方々には確かにその存在は大きいだろう。しかしそれを若い人に押し付けるのはどうかと思われる。
僕はコルトレーンが嫌いな訳ではないが、タイプはまるっきり違うがエリック・ドルフィーのほうが断然好きである。
ドルフィーはコルトレーンとも共演しているが、どうしても耳がドルフィーのほうにいってしまう。
しかし「ジャイアント・ステップス」のコルトレーンの音色は、後年の音と違い、男前である。