ビ・バップでの重要人物はチャーリー・パーカーだが、それ以前にビ・バップに灯りをともしたのが、チャーリー・クリスチャンである。
クリスチャンはギターをソロ楽器として確立した重要な人物である。
1930年代後半スイング・ジャズはマンネリに陥り、若いミュージシャン達は楽団の演奏後に、こぞってジャム・セッションに興じた。その中でもクリスチャンは別格だった。
レスター・ヤングのテナーのフレーズをレスター風にギターで奏でると言う、独自のスタイルを作り上げたのである。
そのフレージングは、スタッカート奏法よりもレガート・プレイによるメロディックな奏法を重視し、ビ・パップ的感覚も内に秘め、そのブルース的フレージングは後のビ・バッパーに大きな影響を与えたことは言うまでもない。
かくして1941年のミントンズ・プレイハウスで行われたジャム・セッションが、私家録音で残されているのは貴重である。
しかしその1年後クリスチャンは肺結核におかされ、20代半ばでこの世を去ってしまう。
プロとしての活躍はベニー・グットマン楽団における39年~42年と活動歴は少ないが、クリスチャンがビ・バップの扉に手をかけていたのは確かなことであり、後にチャーリー・パーカーと言う天才が扉を開いた。