リー・モーガン的ジャズ

ジャズ・ロックを生み出したのはリー・モーガンであるが、ジャズ・ロックを容認出来るか否かが問題だ。僕はガチガチのジャズ親父ではないので、モーガンの生み出す8ビートの演奏が大好きだ。

1963年モーガンはニューヨークのシーンにカムバックする。それまで在籍していたジャズ・メッセンジャーズを1961年に退き、故郷のフィラデルフィアで療養していた。

その復帰第一作が「ザ・サイドワインダー」である。あまりにも有名なアルバムだが初心者の方にも1度は聴いて頂きたい1枚である。

モーガンのタイトル曲によるロック調の演奏はたちまち話題を呼び、ジャズ・ロック・ブームが到来する。

モーガンは再び脚光を浴び、自信の演奏にも、ファンキーな風味を残しながらも、さらに音楽性を発展させ、己のインプロビゼーションを最大限に発揮してみせる。 続きを読む リー・モーガン的ジャズ

クリフォード・ブラウンに学べ02

「スタディー・イン・ブラウン」と言う名盤中の名盤がある。初心者にはとにかく1曲目の「チェロキー」を聴いていただきたい。

これぞハードバップの見本的演奏だ。「チェロキー」をここまで高みに上げたのは、クリフォード・ブラウンその人である。

ブラウンは1年前とは全く異なった演奏を聴かせてくれる。ハードでありながらメロディアスなのだ。こんな芸をこなせるのは、今をおいても、ブラウン以外にはいない。

テナーサックスのハロルド・ランドの開演も花を添える。「チェロキー」と言えばクリフォード・ブラウン。クリフォード・ブラウンと言えば「チェロキー」なのである。

これはまさしく僕の独断と偏見と言えよう。しかしながらそう思っているコレクターの方もわりと多くいるのではないだろうか。 続きを読む クリフォード・ブラウンに学べ02

クリフォード・ブラウンに学べ01

クリフォード・ブラウン(tp)が注目を集めたのは、アート・ブレーキーのリーダー作「バードランドの夜」であろう。

名前の通りライブハウス、バードランドでのライブ録音によるものだが、ハードバップの夜明けと言われる名盤である。

この後メンバーが入れ替わるが、ジャズ・メッセージャンズの誕生前夜とも言われる貴重盤だ。

ことにブラウンの吹くトランペットは斬新で、確実にビバップから脱皮しようとしている。しかしまだまだビバップ曲の色濃さが残っているのは否めない。

僕がここで注目しているのは何もブラウンだけではない。アルトサックスのルー・ドナルドソンに注目してほしい。 続きを読む クリフォード・ブラウンに学べ01

ケニー・ドーハムを聴こう03

ケニー・ドーハムのブルーノート盤第一作が吹き込まれたのが1955年1月のことである。80年代のクラブシーンを揺るがした「アフロ・キューバン」がそれだ。

前述したが「アフロ・キューバン」はダンス・ミュージックにもなる大傑作である。その流れでアシッド・ジャズが誕生したのだから、歴史的名盤と言ってもいい。

今なおクラブシーンにおいては、ジャズじゃなければ踊れないと言う若者も多い。

それほど「アフロ・キューバン」がすごいのかと言われると、「そうです。私脱いでもすごいんです」と古いCMのワンフレーズを引用したくなるほど素晴らしいのだ。

特に1曲目の「アフロディジア」を聴いて頂きたい。この曲想、編曲、各プレイヤーの品のいいアドリブが聴いていて飽きさせない。 続きを読む ケニー・ドーハムを聴こう03

ケニー・ドーハムを聴こう02

ケニー・ドーハムはビバップ時代から活躍してきたプレイヤーだがビバップでは中々芽が出ず、ハードバップの到来と共に、一気に一流ミュージシャンへと駆け上っていった。

何故、ビバップでは芽が出なかったのか?マイルス・デイビスの二番煎じ的演奏をしていたからではないかと、僕は推測する。

チャーリー・パーカー・クインテットにも参加しており、パーカーには認められていたのだろう。

しかしそこでの演奏はマイルスそのものであり、パーカーが求めたのもマイルス的演奏だったのかもしれない。

一説にはビバップの細かいプレイに不向きだったと言う説もある。ビバップには基礎になるパーカーのプレイがあり、ほとんどの若手ミュージシャンがパーカーを目指したと言っても過言ではない。 続きを読む ケニー・ドーハムを聴こう02