マイルス・デイビスはジャズシーンに革命を起こしてきた偉大なミュージシャンだが、その革命がジャズを面白みに欠けさせたのも、否めないひとつの事実である。
1949年の「クールの誕生」は革新的ではないが、白人ミュージシャンにスポットが当たり、恩恵を受けたミュージシャンも多く、その後ウェスト・コースト・ジャズの流行に火がついたのも事実である。
お陰でイースト・コーストのジャズシーンは不況で黒人ミュージシャンはジャズだけでは飯が食えなくなり、他に仕事を探さなければならないほどの不況ぶりであった。
ウエスト・コーストでは白人を中心としたクール・ジャズが流行を呼び、中でもジェリー・マリガン、アート・ペッパー、チェット・ベイカーなどが人気を博した。
しかしこれは一時的な現象で、ウェスト・コースト・ジャズが流行ったのは1952年~1955年くらいと短命である。
その後イースト・コーストに再びジャズシーンが移り1959年にかの「カインド・オブ・ブルー」が録音され、モード奏法が取り上げられた。
モードとは、バップの様にコードに乗せてアドリブを演奏するのではなく、スケールで演奏するスタイルである。
故に1章節のコードも、バップの様に4,5個も使わず、ひとつコードからなり、音階も制限され音も少なめになり、マイルス向きの音楽があみ出された。
モードは1960年代の新主流派、ジョン・コルトレーンによるフリーへと導いていった。
モードは革命的であったが、そのつまらなさは致命的でジャズは段々と色あせていったように僕には思えてならない。