「ジャズの歴史」カテゴリーアーカイブ

ウエスト・コースト・ジャズの心地良さ

ウエスト・コーストと言えば白人集団のように思われるが、例えば初期のソニー・クラークはウエスト・コーストで数々のセッションに参加して腕を磨いた。

ソニー・クリスもソニー・クラークとセッションをしたが、どちらもウエスト・コースとでは芽が出なかった。

ソニー・クリスは晩年ヒット・アルバムに恵まれたが、ソニー・クラークは鳴かず飛ばずで63年にはこの世を去ってしまっている。本国アメリカでは恐ろしいほど無名である。

数々のミュージシャンも、そういう奴もいたな程度にしか捉えていない。日本では素晴らしくらいに人気者だ。

ソニー・クラークの良さを理解できないアメリカ人の耳を疑う。ウエスト・コースとは白人の集団ではない。黒人も大いに活躍している。 続きを読む ウエスト・コースト・ジャズの心地良さ

カール・パーキンス、夭逝のピアニスト

ウエスト・コーストで数々の名のある名盤に、名前を連ねているピアニストがいる。カール・パーキンスである。

パーキンスは左腕に障害があり、独特のスタイルでピアノを弾く。

左腕をピアノの鍵盤に乗せるようにして弾くわけだが、これがイン・テンポの場合は左手でコードを弾くわけで、やはり音が弱く聴こえてしまう。

そこで、これはあくまでも僕の想像だが、右手のタッチが、弾いていく間に強くなっていったのではないだろうか。

右手のタッチの強さがパーキンスの魅力であり、逆境を乗り越えた末に出た答えなのだ。

パーキンスは「イントロデューシング」と言うリーダー・アルバムを1枚だけ残してこの世を去った。交通事故である。29歳という若さであった。 続きを読む カール・パーキンス、夭逝のピアニスト

中間派ジャズとはなんぞや

中間派ジャズと言うジャズのカテゴリーに入るジャズが存在することを初心者の方々には理解していただきたい。「中間派と言われても・・」。

ハイ、その気持ち分かります。ほとんどの初心者がハード・バップから入り50年代のジャズを理解できる人が半分はいたとして、そのまま60年代に突入する気持ちもすごく理解できる。

しかしいきなり、新主流派なる、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、フレディー・ハバードなどなど、これらの方々のジャズを信棒してしまうと、後々はジャズを捨てる羽目になる。

またジョン・コルトレーンなどのフリー系に走り、信者になる方もいるだろう。これまた破滅の道へとまっしぐらだ。

コルトレーンを代表する60年代をリアルタイムに聴いてきた、爺様方には「ありがたやコルトレーン様」みたいな感覚がどうしても、リアルに耳にこびりついているのだからしょうがない。 続きを読む 中間派ジャズとはなんぞや

ハード・バップの誕生的アルバム

1954年プレステージレーベル録音の「バグス・グルーヴ」マイルス・デイビスの二つのセッションをまとめたものである。

この二つのセッションでマイルスは自由奔放でハードなフレージングを聴かせる。それまでウエスト・コーストにジャズの中心はあった。

かのクリフォード・ブラウン、マックス・ローチの双頭コンビもこの年にウエスト・コーストで、歴史に残るライブ録音を収めたアルバムを発表した。

しかし僕としては、とりわけ重要視はしていない。何故ならブラウンは既にハード・バップの形を彩っていたからだ。

一方のマイルスである。ソニー・ロリンズはこのアルバムで3曲、曲を提供しているが、既にロリンズ節のようなアドリブもわずかではあるが聴いてとることができる。 続きを読む ハード・バップの誕生的アルバム