ネオ・ビバップ

エリック・ドルフィーは不出世のアルト・サックス奏者だが、自らのスタイルを作り上げ、1960年代のジャズ界に一風を巻き起こした。

マイルス・デイビスがドルフィーを嫌いな話しは有名だが、それはマイルスが言葉少なめなのに対しドルフィーは多弁であるがためだろう。

ドルフィーはチャーリー・パーカーを尊敬し1960年12月録音の「ファー・クライ」では敬愛するパーカーへのトリビュート曲3曲を録音している。

しかしドルフィーの吹奏にはパーカーのフレーズが現れることはない。パーカーからビバップを学び浄化したと考えられる。

故にドルフィーの吹奏法は、ネオ・ビバップと言われる所以(ゆえん)である。 続きを読む ネオ・ビバップ

インター・プレイの試み

「カインド・オブ・ブルー」に参加した、ピアノのビル・エヴァンスはモード奏法の立役者とも言われている。

エヴァンスがいなければ、モードは未完成のままで終わったかもしれない。

エヴァンスがマイルスのグループを退団して、自己のグループを得たのは1959年末の話である。

ベースのスコット・ラファロ、ドラムのポール・モチアンによるピアノ・トリオであった。

1959年12月録音の「ポートレート・インジャズ」は今までのピアノ・トリオとは異なり、個々のプレイに重きを置き、ピアノ中心のピアノ・トリオ・スタイルではなく、ピアノ、ベース、ドラムによるインター・プレイが中心となって演奏された。 続きを読む インター・プレイの試み

1957年的ヒップ・ポップ

1957年に既にヒップ・ポップ的音楽が存在していたこをご存知であろうか?それもジャズ界でそれが作られていたとしたら驚きではないだろうか?

しかしそれが存在するのだ。チャールス・ミンガスの「ジャズ&ポエトリー」と言うアルバムである。

ジャズと詩の朗読と言う実に斬新な試みをミンガスは成し遂げた。

1曲目の「シーズン・イン・ザ・シティ」がそれであるのだが、メルヴィン・スチュアートをナレーションに加え音楽と詩の融合に見事成功している。

このアルバムは後代のヒップ・ホップ界に影響を与えた作品としても有名である。 続きを読む 1957年的ヒップ・ポップ

直立猿人

一方で1950年代半ば前衛的ジャズに取り組んでいた、1人のベーシストがいる。チャールス・ミンガスである。

1956年1月に「直立猿人を」を録音。その異彩性から多くのジャズファンに驚きを与えたが、衝撃性だけが強調されて肝心の中身が理解されていたかどうかは疑問である。

僕は冒頭の「直立猿人」などは雑音にしか聴こえない。初めて聴いた時は確かに後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けたが、衝撃的音楽と言う物は、また飽きるのも早いもので、さっきも述べたように、ただだの雑音になってしまった。

特筆すべきは「直立猿人」以降の曲である。2曲目の「霧の日」はJR・モンテローズのテナーがほとばしり、編曲も工夫されていて、ロンドンの街を思い浮かばせてくれる。

これほど素晴らしい演奏を聴かせてくれるのはミンガスをおいて、他にはいない。 続きを読む 直立猿人

名曲、クリフォードの思い出

歴史を代表する、ジャズトランペッター、クリフォード・ブラウンが自動車事故でこの世を去ったのは1956年6月のことだった。

その突然の死にジャズ界は揺らいだ。マイルス・デイビスはブラウンの出現により薬から手を退(ひ)いたとも言われている。

それほどクリフォード・ブラウンの存在は大きかった。

ブラウン死後、ジャズ界はブラウンを凌ぐスターを求めた。そこに登場したのがリー・モーガンである。

モーガンの出現によりジャズ界が活気づいたのは、確かだが、ブラウンとモーガンはあきらかに奏法に違いがあった。 続きを読む 名曲、クリフォードの思い出