スタン・ゲッツはクール・ジャズの代表格とされているが、それを決定付けたのは、1947年、ウディ・ハーマン・セカンド・ハードでの「アーリー・オータム」演奏であろう。
しかしそれ以前ゲッツはクールではなかった。音には力強さがあり、ブローまでしていたのだ。何故そんな彼がクール・ジャズの代表格になりえたのか?
ゲッツと言う男はもしかすると、マイルス・デイビスよりも早く、時代を先取りしていた可能性大である。
1946年クロード・ソーンヒル楽団による、クール・バップなるものが誕生する。
従来のビックバンドと違い、パーカーらのバップナンバーを取り入れることによって、他の楽団と差別化を計り成功した。
白人中心のバンドでアルトサックスのリー・コニッツも参加している。ここから既にクール・ジャズの温床が出来上がっている。
つまりゲッツはその頃からクール・ジャズが流行することを見抜いていたのだろう。「アーリー・オータム」によりゲッツは一躍ジャズ界の注目の人となった。
ゲッツはその時代の流行によってスタイルを変えると言う、誰にも真似が出来ないような、芸風を持っている。
それがゲッツのスタイルであり、名盤、駄盤の多いのも、ゲッツの芸風によるものではないだろうか。